100周年連載企画〜東大野球部の今昔〜
―東大を目指したきっかけを教えてください。
もともとは弁護士志望で京大を目指していましたが、テレビで早慶戦を見ているうちに神宮への憧れが強くなり、東大を志望するようになりました。高校時代の野球での不完全燃焼が尾を引いていたから、浪人時代も野球をやりたいと思っていましたね。
―憧れの東大野球部に入って印象に残ったことはありますか。
部活の練習で忙しく、勉強する時間が少ないと感じました。あとは、大学のクラスの友人が、僕が野球を頑張っているのを応援してくれていたのが嬉しかったし、励みになっていたね。授業のノートも貸してくれたりしていたし。大学を卒業してから何年も経っている今でも彼らとの付き合いはあるよ。
―当時のチームの雰囲気はどうでしたか。
僕がキャプテンを務めた4年生の時は、歴史に残るようなことを成し遂げたいと同期の皆で決めました。当時の全体練習は午後だったんだけど、それとは別に朝7時から朝練習をしようと決めて努力したね。そうやって4年生がまとまったことがすごく大きかったと思うよ。レギュラーじゃない人も朝練習に賛成してくれて、ずっと続けることができました。皆で頑張ったということが土壇場で自信になって、すごく良いことだったと思うよ。
当時の小笠原文也監督(昭和44年卒・日比谷高)は情熱家で、東大カラーを変えようと奮闘していた人だった。徹底的にミスをなくすことを目標にして、相手チームが仕掛けてきたときにいかに防ぐかを考えて、その練習をたくさんしてきた記憶があるね。
―きつかった練習はありますか。
冬に駒場キャンパスのグラウンドで陸上トレーニングをしたのが印象に残っているよ。駒場の体育の先生に教わってずっと走っていたね。あとは、釜石合宿も暑くて辛かったです。
―印象に残っている試合はありますか。
2年生の時の秋に、そのシーズンに優勝した明治に開幕2連勝したことがまず思い出に残っているよ。僕がベストナインを取ったシーズンでもあるし、心に残っているね。
あとは、4年生の時の開幕戦、慶應1回戦で快勝。そして2回戦でサヨナラ勝ちした試合がやっぱり思い出深いかな。
―社会人野球に進んだ際に、学生野球との違いは感じましたか。
やはり社会人野球では質の高い練習をやっていたよね。学生野球と違って下のレベルが高いから、切磋琢磨しないといけなくて。競争の激しい世界でしたね。あとは、食べ物が良かった。体がずいぶん太くなりました。
―社会人野球時代の様子について教えてください。
3番セカンドとして主に出場して、3年目でベスト4になることができたのが嬉しかったね。東大時代では野球についてよく考えていたし、周りの選手たちも同じようだったから、その経験を生かして、他の選手たちに考えとかを教えていたかな。褒めてあげると皆良く打つんだよなあ。 普段の生活リズムとしては、昼までは仕事をして午後に練習という形でした。徹底的に走った記憶がありますね。
―東大野球部の監督になった経緯をお聞かせください。
平野裕一監督(昭和53年卒・戸山高)の後任として、OBを通してお話が上がりました。僕は社会人だったので、任期が2年という決まりでした。就任当時は良い選手が多いという印象がありました。
―監督をする上でのモットーなどはありましたか。
平均身長180cmのチームを作ろうと思っていました。3番を打っていた櫻井誠(昭和61年卒・灘高)とか5番を打っていた川幡卓也(昭和61年卒・国立高)を始めとして、高身長の選手がそれなりにいましたからね。監督の2年はとても短いから、イメージを作って選手を育て上げたよ。六大学で勝てないなんて思っていなかったね。
あとは、理屈をもって説明してあげることも大切にしました。ベンチ入りを決めるときなどに不満がある選手にはきちんと理屈で説明したね。
技術面で言うと、初球の変化球を打つというノウハウを教え込んだかな。ただ口で言うだけでなく練習で実践させました。このノウハウを生かすことができた立迫浩一(昭和60年卒・県立浦和高)が首位打者を獲得したことがとても嬉しかったな。ホームランを打つ選手も多かったのもこのおかげか、とても誇りです。
―選手とのコミュニケーションはどのようでしたか。
コミュニケーションは深く取れていたんじゃないかと思っているよ。栄養をつけてあげようと、選手を結構ご飯に連れていっていたしね。社会人野球を経験している僕からしたら、選手をご飯に連れていくのは当たり前の感覚ではあったんだ。
―現在社長としてご活躍されていますが、野球部での経験が役立ったことはありますか。
監督を経験しているから、人を動かすという面では役に立っていると感じています。野球で言うところのレギュラー外の人たちも合わせて一つのチームであるということがひしひしとわかります。腐っている人がやる気になるにはどうしたら良いかを考えるようにしていますね。あとは、野球を続けていた中で顔が広くなったことも役立ったことの一つですね。
―人を動かす上で大切にしていることはありますか。
個人の全人格をよく見てあげることを心がけています。結婚している人であったらその人の家族のことも考えてあげる。個人が幸せになることが第一ですからね。今、特に若い人の中では個人よりも会社に尽くすという風潮があるかもしれないけれど、やるべき仕事をきっちりしていれば個人の幸せもきちんと考えてあげることが必要だと思っているよ。
―今の東大のチームはいかがですか。
レベルが高くて一生懸命やっているという印象を持っています。東京六大学野球は日本の野球エリートが集まっていて、隙のないチームばかりだよね。そんな相手に勝つためにはもっとレベルの高い野球をやることが必要だと思うよ。ちょっとしたことで結果は変わってくると思うから、質の高いものを体感してほしいね。チーム内でお互いにレベルの高い目で指摘しあうと良いと思うよ。
―伊藤さんにとって東大野球部とはどのようなものですか。
僕が東大野球部に入れたことは幸せなことだと思っています。東京六大学野球というレベルの高い世界で戦うことは難しいことだけれども、難しいからこそやりがいがあるからね。できることならもう一度選手として挑戦したいと思っています。
伊藤 仁(いとう ひとし)プロフィール
○経歴
1954年(昭和29年) 愛知県生まれ
1974年(昭和49年) 東京大学文科Ⅱ類入学
1978年(昭和53年) 新日本製鐵株式会社入社
1983年(昭和58年) 東大野球部監督就任
2008年(平成20年) 新日鐵住金ステンレス株式会社 取締役常務執行役員
2013年(平成25年)
代表取締役社長
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