100周年連載企画〜東大野球部の今昔〜

【第7回】 階 猛 1991(平成3年)年卒 投手 盛岡一高

―東大に入学された経緯を教えてください。

私は岩手県立盛岡第一高校に通っていましたが、当時は東京大学をあまり意識していませんでした。きっかけは模試の成績で、当時の模試の成績がたまたま良くて、そこから意識し始めました。ずっと地方で育ってきたので東京で一人暮らしをしたいというあこがれがあり、東京の大学に進学するからには、東大に入りたいという思いもありました。結果的に現役合格することができず、浪人してからは御茶ノ水にある予備校に通い、二浪してやっと入学することができました。決して裕福ではない家庭でしたが、自分のやりたいことを最後までやらせてくれた今は亡き両親に心から感謝しています。

―東大野球部に入部されたきっかけについて教えてください。

一浪で合格を決めることができずに途方に暮れていた時に、春の東京六大学野球を見に行ったのがきっかけでした。当時は何も把握していなくて、東大野球部は弱いものと思っていたのですが、実際に六大学のリーグ戦を目の当たりにしてみると、東大が一方的にやられているどころかほぼ互角に渡り合えていて、とても感銘を受けました。注目度もあり、他の五大学とも明治神宮球場で渡り合える。そこで自分も野球をしてみたいと思い、東大野球部に入部したいと決心しました。

―東大野球部に入ってからはどうでしたか。

朝、部員が集まって練習して、夕方練習が終わったらアルバイトするなど。そんな毎日が続きましたね。他の大学生と比べれば、自分たちはほとんど遊んでなかったですね。 野球に対する考え方も色々あると気づかされました。東大野球部には全国各地から様々な人が集まってくるため、野球との関わり方も様々でした。多様な考え方ができるようになったというのもいい経験になりました。一方で、野球に人生を賭けている他大学の選手のプレーやそこに至るまでの努力する姿に感銘を受けました。

―投手として一番印象に残っている試合はどの試合でしょうか。

自分が先発投手として出場した大学2年生の春の明治大学との一戦です。大学1年生の時の秋の開幕戦で慶應義塾大学に勝利し、それ以降通算200勝に王手がかかっていました。両者譲らずに中盤まで0対0のロースコアゲームが続き、ついに7回表に石井さん(平成2年卒・県立千葉高)のタイムリーで先制しました。しかし、7回裏、2アウトから2ランホームランを打たれてしまいました。ホームランを打たれた前の投球が際どいボールで、個人的にはストライクで三振だと思いました、審判のコールはボールでした。そのボールより少し内側に入れようと思って投じた球が失投となり、ホームランを打たれてしまいました。結果的にはその2ランホームランが決勝点となり、1対2で敗れてしまいました。この試合で勝っていれば大型連敗することがないような気がして、大変悔しい思いが残る試合でした。

―その後、野手に転向しました。

大学2年生の冬の時、球威をあげようとフォーム改造に着手しました。しかし、新しいフォームが自分にしっくりこなく、球威が上がるどころか肩を故障してしまいました。大学野球で投手として活躍することが不可能になり、3年生の夏から半年間休部しました。故障直後は野球部から退部しようと考えていました。しかし、チームは連敗が続いていて、選手はなんとかして連敗を止めようと必死に頑張っているのを受け、自分も少しでも力になりたいと思い、3年生の冬に復帰しました。その後は野手として練習に参加し、4年生の時には、自分が打てば同点というチャンスに、代打で何度か出場させてもらいましたが、結果を出すことができず、無念でした。

―卒業後の進路を教えてください。

卒業後は日本長期信用銀行に勤務しました。当時はバブルの絶頂期であったため、就職活動に困ることはあまりありませんでした。長銀にどうしても行きたいから入ったというわけではなく、成り行きで入行した感じも少しありました。また、会社の中で自分の意見を主張していくには相応の能力を持っていないといけないと思い、長銀に勤務しつつ司法試験の勉強も始めました。しかし、当時の合格率は2, 3%に過ぎず、何度も落ちました。 バブルが崩壊した後、長銀も経営破綻し新生銀行となり、その後も勤務しながら勉強も続けて、なんとか司法試験に合格して社内弁護士になりました。働きながら司法試験に合格できたのは、高校、大学で「文武両道」を実践してきたからだと思います。

―その後、衆議院議員になられました。

きっかけは、高校と大学の先輩にあたり、当時岩手1区から選出されていた衆議院議員で岩手県知事に転身された方から打診を受けたことでした。東大に入学してからは故郷である岩手を離れて活動していて、これを機に故郷に恩返しをすることができると思ったため、立候補を決断しました。 衆議院議員として活動するようになり、大勢の人の前に立って演説することが多くなりました。自分の意見とは反対の立場の人も説得しなければならなかったり、自分の考えた通りに物事を運ぶことができなかったりすることも多々あります。その中でも自分の信念を曲げずに正しいと思う道を進めようと行動できているのは、やはり大学の4年間、東大野球部で連敗を何としても止めようと日々練習してきたことで培った逆境に耐える精神のおかげだと思っています。これは、衆議院議員としての活動に限らず、司法試験勉強などの様々な活動にも役に立ったと思っています。

―今までの人生の中で、現役時代はどのようなものですか。

お世辞にも華やかな4年間だったとは言い難いですが、野球に打ち込む環境が整っていて非常にやりがいのあった4年間だったと思います。結果的に在籍期間の間は1勝しかできませんでしたが、結果が出なくてもあきらめずに努力し続けたことは何にも代えがたい非常に有意義な経験だったと思っています。

―最後にチームに向けてメッセージをお願いします。

簡単なことではないのは分かりますが、まずはどんな形でも1回でいいので勝ってほしいですね。負けが続いてしまうと精神的にどうしても良い方向へ向かうことが難しく、一時的にリードしても相手に反撃され始めたら気持ちがどうしても萎縮してしまいます。勝ちを経験することで自信につながり、精神的にも強くなれると思います。 今年の春のリーグ戦は序盤で点を取られて一方的な試合展開になることが多かったのですが、後半の方は接戦に持ち込んだ試合展開が多くあったので実力差はそれほどないと思います。食事管理とトレーニングによって自分たちの頃よりも断然良い体格の選手がほとんどですし、年々強くなっていると感じます。なんとか序盤で食らいついて接戦に持ち込み、相手のペースを崩して自分たちのペースに持ち込むことが大切なのかなと思います。険しい道のりだと思いますが頑張ってほしいです。

階 猛(しな たけし)プロフィール

○経歴

昭和41年10月  岩手県盛岡市生まれ

昭和62年4月  東京大学文科I類に入学

平成3年3月  東京大学法学部を卒業、日本長期信用銀行に入行

平成10年10月  同行破綻し、政府により国有化されるもそのまま在籍

平成15年年11月 司法修習(第56期)を経て、新生銀行社内弁護士になる

平成19年1月  みずほ証券に転ずる

平成19年7月  衆議院議員補欠選挙に岩手1区から立候補、初当選

平成21年8月  衆議院議員総選挙で再選、総務大臣政務官となる

平成24年12月 衆議院議員総選挙で三選

平成26年12月 衆議院議員総選挙で四選

平成27年1月  民主党「次の内閣」ネクスト内閣府特命大臣に就任

平成28年9月  民進党政務調査会長代理に就任

平成29年9月  民進党政務調査会長に就任

平成29年10月 衆議院議員総選挙で五選

平成30年5月  国民民主党に参加し、政務調査会長代行に就任

令和元年5月  国民民主党を離党

 

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