概要・歴史
東京大学野球部は、1919
(大正8)年に創部しました。長与又朗氏(当時東大医学部教授、後の総長)が初代部長に就任し、同年12月には京都帝国大学(現:京都大学)との第一回定期戦を行いました。1925
(大正14)年に早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、立教大学の東京五大学野球連盟に加盟し、これをもって東京六大学野球連盟が発足しました。戦時中は一時、政府の指示により連盟が解散、そして野球部の活動休止を強いられましたが、終戦後まもなく、関係者の尽力により活動を再開します。連盟復活後最初のリーグ戦となった1946(昭和21)年春季リーグ戦では開幕4連勝で迎え(この時は各大学1試合ずつの対抗戦)、初優勝を懸けた慶應義塾大学との一戦に惜しくも敗れたものの、2位という好成績を残しました。1981
(昭和56)年の春季リーグ戦では、早慶から勝ち点を挙げ優勝争いを演じ、「赤門旋風」として社会現象となりました。結果は4位となったものの、この時挙げたシーズン6勝は東京大学史上最高記録として残っています。2010(平成22)年秋季から2015(平成27)年春季にかけて、連盟記録の94連敗を喫しますが、翌2016(平成28)年の秋季リーグ戦で通算250勝を達成しました。2017(平成29)年の秋季リーグ戦では15年ぶりに勝ち点を挙げました。【リーグ戦通算253勝1672敗57分(令和2年秋季リーグ戦終了時点)】
創部当初、グラウンドは荒川区にあった尾久球場を使用していました。当時は合宿所を持たず、部員達は電車で本郷と球場の間を行き来していました。1926(大正15)年春に駒場キャンパスに野球場、同年夏に合宿所が建設されました。この野球場は現在も体育の授業で使用されています。1937
(昭和12)年には現在の東大球場と一誠寮が完成し、拠点を本郷に移しました。一誠寮は1965
(昭和40)年に建て替えが行われ、現在と同じ鉄筋コンクリートの建物となりました。また、2020(令和2)年には大規模改修工事が竣工し、今の姿となりました。東大球場は1983(昭和58)年に内野とライト部分を、大学球場として日本初の人工芝とし、1993(平成5)年には全面人工芝となりました。1998(平成10)年の人工芝改修、スタンド内部の改修、2008(平成20)年の外野部分人工芝貼り替えを経て、2010(平成22)年に文化庁登録有形文化財(建造物)に指定されました。
年表
1919(大正8)年 | 東京帝国大学野球部として発足 |
1925(大正14)年 | 当時の東京五大学野球連盟に加盟、東京六大学野球連盟が発足 |
1937(昭和12)年 | 東大球場、一誠寮完成 |
1943(昭和18)年 | 東京六大学野球連盟解散、東大野球部活動休止 |
1946(昭和21)年 | 東京六大学野球連盟復活 春季リーグ戦で4勝1敗の成績を残し2位(東大史上最高順位) |
1965(昭和40)年 | 一誠寮建て替え工事竣工、現在と同じ建物が完成 |
1981(昭和56)年 | 「赤門旋風」。春季リーグ戦で6勝(7敗) |
1983(昭和58)年 | 東大球場内野とライト部分人工芝化 |
1993(平成5)年 | 東大球場全面人工芝化 |
2010(平成22)年 | 東大球場が文化庁登録有形文化財(建造物)に指定される。 |
2012(平成24)年 | 東大球場の人工芝の全面貼り替えを行う。 |
2020(令和2)年 | 一誠寮改修工事竣工(詳しくはこちら) |