レジェンド始球式第3回

〜東京六大学野球連盟結成100周年への思い〜

東京六大学野球連盟結成100周年を記念し、春・秋のリーグ戦で各校5名、総勢30名のレジェンドの皆様が始球式をしてくださいます。
レジェンド始球式をしてくださる東大野球部OBの方々にインタビューを行いました。
第3回は9/20(土)明治大学戦にて始球式をしてくださる岡村甫さんです。


【第3回】 岡村 甫 1961(昭和36)年卒 投手 土佐高

―東大を目指されたきっかけを教えてください。

うーん、特にはないですね。他に選択肢がなかったという感じです。高校の時から成績は悪い方ではなかったので。

―大学に入学してから野球部に入ることを決められたのですか。

入学前から入ることは決めていました。東大工学部の先輩が誘ってくださったことがきっかけです。理系だと大学で野球を続けることは難しいと思っていたのですが、先輩がわざわざ説明に来てくださって、入学までアドバイスをくださいました。

―野球部在籍中の印象に残っている思い出はありますか。

入部してすぐ寮に入ったのですが、掃除当番は上級生も下級生も関係なく、全員で順番に回していたんですよ。だから、4年生が応接室を掃除していたりして、それに最初は驚きました。

―岡村さんはリーグ戦71試合に登板されて通算17勝という大記録を残されましたが、4年間で特に印象に残っている試合はありますか。

明治大学との試合で3日間完投したときがあったのですが、サヨナラ負けをした3戦目の試合ですね。1戦目も2戦目も完投して、最後の試合でサヨナラ負けというのが、とても印象に残っています。

―現在では3連投はあまり考えられないですが、当時体への負担等はなかったのでしょうか。

そうですね、あまり肘や肩に負担のかからない投げ方をしていましたので。アンダースローというよりはサイドスローくらいですかね。大学2年生頃まではサイドスローだったのが、だんだん下がっていって、最後はアンダースローになりました

―練習をする上で意識されていたことはありますか。

常に試合を意識して練習することですかね。次の日の試合の1番から9番までのバッターを想定して、この球は投げ損なったからヒットで出塁だとかいうように、試合展開も考えながら練習をしていました。リーグ戦だとどんなバッターが来るかは大体分かっているので、そこをしっかりイメージすることが大事だと思います。

―現役時代に印象に残っている選手はいらっしゃいますか。

自分が4年生のときに1年生で入ってきた、杉山守久(S39卒)ですかね。実際に一緒に試合でプレーしたことはないのですが、私の卒業後ほぼ毎年3割5分くらい打っていて、素晴らしいバッターだったなと思います。

―卒部後は大学院に進まれたかと思いますが、野球を続けるという選択肢は考えられたのでしょうか。

実業団でやらないかと誘われていて、そのつもりでいたのですが、いろいろ事情があって大学に残ることになりました。そこで野球とは縁がなくなりましたね。

―その後東大野球部の監督に就任されたかと思いますが、どのような経緯だったのでしょうか。

自分が選手時代の監督だった渡辺融さん(S28卒)が辞められるということで、「やらないか」と声をかけられました。

―監督時代に印象に残っている試合はありますか。

ここで勝てば3位になれるという試合があったのですが、そこで負けてしまったことですね。あの時こうすればよかった等、悔しい思いの方が印象に残っています。

―現エースの渡辺(4年/海城)はアンダースローなのですが、ご存知でしょうか。何かアドバイスがあれば教えてください。

いや、残念ながら知らなかったです。アドバイスというと、1番いいのは無心になることですかね。無心というのは、なろうと思ってなれるものじゃないので。次にあるのはバッターを常に攻めるという積極的な気持ちです。ピッチャーの方から攻めていくという気持ちが大事だと思います。

―現役部員に向けてメッセージをお願いします。

自分の長所をよく知って、それを伸ばすということをやってほしいです。相手チームの同じポジションの人と比べて、自分の方が優れているところが必ずありますから。それを伸ばすということを心がけてほしいです。私はというと、他のピッチャーと比べてスピードとコントロール能力は1番なかったんです。でも、投手というのは守備や心理的な強さなどその他の能力も必要で、そこにおいては六大学で1番になろうと思っていましたし、それができたと思います。

―最後に、岡村さんにとって東大野球部とはどのようなものですか。

唯一無二のものですかね。私の人生において最も充実した日々が送れたと思います。思い出しても楽しい仲間たちと一緒でしたね。

〇経歴

1938年 高知県生まれ

1957年 東京大学工学部土木工学科入学

1966年 東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了

1972年 東大野球部監督に就任(-1973)

1991年 東大野球部部長に就任(-1993)

現在 高知工科大学理事長、東京大学名誉教授