00/01/30(日)
1/28(金)東京六大学連盟理事会において、全会一致で特例として、加治佐投手正式登録の承認をいただきました。
マスコミ各社におかれましては、報道の際、加治佐投手本人へさまざまなご配慮をいただき、深く御礼申し上げます。
最後に、みなさまから加治佐投手へたくさんの応援メッセージいただき、本当にありがとうございました。
今回にて特集「加治佐投手の登録について」を終了させていただきます。ありがとうございました。
東大HPスタッフ
00/01/28(金)
1/28(金)東京六大学連盟理事会が開かれ、加治佐投手の正式登録が決定し、2000年春季リーグ戦から試合出場が可能になりました。関係者の方々にたいへんなご尽力いただきましたことを深く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
また、加治佐投手へのたくさんの応援メッセージ、本当にありがとうございました。本人にっとても、また東大野球部にとってもこの上ない勇気を与えていただきました。
後日あらためまして、詳細やお礼の言葉など掲載させていただきますが、取り急ぎ、みなさまに御礼申し上げる次第です。誠にありがとうございました。
東大HPスタッフ
00/01/11(火)
平成11年東大野球部卒の氏家
修氏(現新日鐵八幡勤務)に加治佐投手への応援メッセージを頂きましたのでご紹介します。氏家氏は現役で東北大に入学したものの、その後も東大野球部を目指し受験勉強を続け、晴れて東大合格、神宮球場で大活躍しました。
◇ ◇ ◇
東京大学当時の氏家修投手
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『東大野球部関係者の方々、東大野球部ファンの皆様、どうもご無沙汰しております。H11年卒の氏家です。先日、加治佐くんへの応援のメッセージの依頼を受けましたので一言書かせて頂きます。
一応近況報告も兼ねてということでしたが、僕自身は昨年の4月に新日鐵に入社し、5月中旬までの研修の後、北九州の八幡へ配属、新日鐵八幡野球部には7月より合流しました。大学の時から不調の肘、全く新しい環境での生活ということで幾分かの不安もありましたが、思ったより早く環境に馴染むことができました。肘のほうも、10、11月に10イニング程登板できるまでになり、やっと野球をしているという感じになりました。そういった状況です。
本題ですが、1999年の東大野球部は遠藤プロ入り、竹本投手の新人戦登板など大きな話題がありましたが、そんな中で加治佐くんの件も秋頃初めて耳にしました。野球のために大学に入りなおしたと
いうことで非常に似ているな、と思います。僕の場合は一年目立教に入り損ね、東北大に入りましたが、東北大はリーグも違うし、野球部に籍も置かなかったので問題はないと思います。加治佐くんの場合も、実際引き抜きではないわけですし、まだ時間もあるので、関係者、諸先輩の方々にはきっとご理解いただけることと思います。
加治佐くん、実際神宮で野球ができるかどうか分からない、宙ぶらりんな状態で気を入れた練習をしていくのは大変だとは思いますが、東大野球部のあとも社会人でも続ける意志もあるようですし、グラウンドでは淡々と練習をし、どんどん上を目指し、頑張って下さい。いつか同じ舞台で野球ができることを願っています。(僕も先にいなくならないように頑張ります。)』
新日鐵八幡野球部・投手)氏家 修 背番号13
メールアドレス ujiie@coral.ocn.ne.jp
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加治佐投手への応援メッセージ、ひさびさ登場の氏家氏へのメッセージも応援ボードをご利用ください。
東大HPスタッフ
00/01/09(日)
応援ボードにも投稿をお寄せ頂きましたが、1月9日(日)朝日新聞4面「閑話休題」で西村欣也さんによる掲件に関するコラム「たかが野球、されど野球」が掲載されております。年明けに関係者が取材を受けました。
東大野球部HPスタッフ
00/01/04(火)
正式登録を待ち、練習中の加治佐投手
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応援ボードのみなさまの投稿にもありますが、週刊朝日12月24日号(12月14日(火)発売)に、落合博満氏の加治佐投手の登録に関するコラムがあります。これは週刊朝日より取材の正式依頼を受けての掲載となっております。
以下は落合氏のコラムの加治佐投手に関するコメントの一部です。
『在籍大学を退学し、改めて他大学の正規試験を受け、合格して新一年生になった学生については、部員登録を認めてもいいのではないか。』『彼に公式戦への出場を認めてもいいのではないだろうか。』
また、週刊新潮(12月30日・1月6日新年特大号)170頁にも加治佐投手の登録に関するコラムが掲載されておりますが、こちらも取材の正式依頼を受けております。以下は週刊新潮のインタビューで述べた加治佐投手本人の気持ちです。
「1999年はリーグ戦ベンチ入りが認められないながらも、仲間、先輩に励まされながら、ずっと練習を続けてきました。自分の実力とは関係のない点で登録が認められないというのは悔しいです・・・。」
東大野球部HPスタッフ
99/12/29(木)
「Yomiuri On-Line/スポーツ」に掲載された記事をご紹介いたします。読売新聞社より東大野球部に掲件につき正式取材の依頼があり、以下のような記事掲載となっております。
◆“東大投手”に「二重登録禁止」の壁
早大野球部に3か月在籍したことのある選手が今春、東大に合格、野球部に入部しようと、東京六大学野球連盟に部員登録を申請したが、「連盟加盟校に一度でも登録された者は、別の加盟校に登録することはできない」として認められなかった。東大が再考を求めたが、規則の壁は厚く、連盟は今月、入部を正式に不許可とした。学生は神宮球場のグラウンドに立つことを夢見て、今も東大の練習に参加している。(大塚貴司)
この学生は東大理科2類の加治佐(かじさ)平さん(20)。もともと東大を志望していたが、2年続けて受験に失敗して昨年4月、早大理工学部に入学、同時に野球部に入った。「コツコツ頑張れば4年生ぐらいでベンチ入りできるかな」と考えていたという。
しかし、6月には、両親と相談して東大を受けなおすことを決意して野球部をやめ、大学も退学。今春、合格して野球部に“入部”した。ところが、すぐに問題が発覚した。5月に東大のマネジャーが新入部員の登録をするために六大学連盟に赴いたが、加治佐さんだけが認められなかったのだ。
同連盟の規約では、「各加盟大学の他の野球部の選手として登録されている者は、公式試合に出場することができない」とされている。東大側は「二重登録を禁止した条項であり、過去の経歴は関係ないはず」と主張したが、同連盟では慣習として、リーグ内の移籍は認めていないとした。
同連盟事務局によると、選手の引き抜きを防ぐために戦前から過去の経歴も「登録」に含めて解釈されてきたという。他の名門リーグである東都大学野球連盟や関西学生野球連盟でも、連盟加盟校で一度登録されると、その連盟内の大学には登録ができないとする規約がある。
加治佐さんの問題は9月の六大学連盟理事会で話し合われ、各校に1人ずついる「先輩理事」と呼ばれるOBたちに解決をゆだねた。先輩理事たちは、規約を従来通り解釈し、加治佐さんの登録は認められないとの結論を10月末に出し、今月開かれた理事会でそのまま了承された。
しかし、この決定に他の東京六大学加盟校からも疑問の声が上がっている。ある監督は「野球がやりたいのに出来ないなんておかしい。先輩理事に任せた私も責任を感じる」と後悔している。別の監督も「本人のことを考えると、いずれ再び議題にして、前向きに対処したい」と話す。
ある大学の先輩理事は「心情的には認めてあげたいが、リーグではずっとこの慣習でやってきた」と、不許可の理由を語る。「今回認めてしまうと、選手の引き抜きに理由を与えてしまうことになる」(加盟校のある部長)というのが本音のようだ。
これに対して、かつて東大の選手として首位打者になったこともある日本学生野球協会の広岡知男会長は「連盟の決定はおかしいと言わざるをえない。今回のケースは引き抜きでないことは明らか。過去にそうした経歴があるからといって、ずっとそれに縛られるのは変だ」と疑問を投げかける。
加治佐さんは「4年間のうちに登録できると信じている」と、4月からずっと東大の練習に参加している。鹿児島のラ・サール高で硬式野球部をつくり、3年夏には主戦としてチームを県大会ベスト16に導いた実力は「東大の1年生ピッチャーとしては上の部類」(三角裕東大監督)。国立大との定期戦やオープン戦には出場できるものの、「神宮のマウンドに立てないなんて何のための練習なのか」と意欲が薄れることもあった。それでも、東大野球部から日本ハム入りが決まった遠藤良平投手らに支えられて頑張ってきた。
加治佐さんはこの24日まで東大グラウンドで練習、25日に故郷の広島に帰ってからは、知人とともに自主トレに励んでいる。(12月29日0:54)
◇ ◇ ◇
応援ボードでの加治佐投手への応援メッセージ、誠にありがとうございます。本人もたいへん勇気づけられ、神宮のマウンドに上るその日を信じて、日々練習に励んでおります。
東大・三角監督も加治佐投手が神宮のマウンドに上がれることを、第一に考えております。また、HPスタッフとしても加治佐投手の2000年春季リーグ戦での正式登録へ向け、支援してまいります。
東大野球部HPスタッフ
99/12/16(木)
掲件について皆様のご意見、加治佐投手への応援メッセージ誠にありがとうございます。
応援ボードにて『加治佐投手の登録に関する東大野球部ホームページの応援ボードの書き込みを連盟のほうに送りたい』というご提案を頂きましたが、東大野球部の三角監督、河野部長、大坪先輩理事から「何卒、ご遠慮くださいますようお願いいたします。」という回答に相成りました。
また上記にも関連しますが、掲件のそのデリケートさゆえ、東京大学野球部としては、ご支援くださる皆様とともに活動することができないこともお伝えしなければなりません。何卒ご了承、ご理解いただきたく存じます。
なお、東大野球部の現役選手・OBとしては、東大野球部OB会である一誠会が中心となり、加治佐投手の登録へ支援・対処をしております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
みなさまのご意見は
応援ボードへ
東大野球部メール宛先は tokyo-bbc@ma.neweb.ne.jp
東大野球部HPスタッフ
99/12/9(木)
加治佐平投手
(理II1年)
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加治佐投手への暖かいメッセージありがとうござます。選手紹介のページでも加治佐投手を迎え入れました。
また、毎日新聞の12/9朝刊の記事も紹介させていただきます。毎日新聞の清水さんから当スタッフへ、「寄せられた応援ボードの投稿を新聞紙面で紹介させてほしい」という依頼があり、三角監督、河野部長の承諾のもと、以下のような記事掲載となりました。
◇東大野球部員の登録不許可問題、部員支援のメール相次ぐ
元早大野球部員で再受験して合格した東大野球部に入部を希望しながら東京六大学野球連盟が登録を認めなかった問題で、インターネットの東大野球部ホームページに応援のメールが多く寄せられていることが8日、分かった。
この学生は東大理科2類1年の加治佐(かじさ)平さん(20)。野球部ホームペー
ジに加治佐さんの問題が掲載されたのは、登録不許可の決定が下された理事会翌日の3
日。新聞や雑誌に載ったこれまでの経過や投書などが紹介された。
8日までに、メールで意見を述べてきたのは約20件。大半は「3カ月だけ他大学にいて受け付けられないのは超封建的」「連盟のしゃくし定規の判断は理解に苦しむ」「
野球が好きで続けたいのに理不尽な理由で続けられないのはやりきれない」といった励ましの内容だった。メールの中には、同連盟に対し登録許可を求める署名運動を起こす呼びかけも含まれ、機運が高まりつつあるという。
一方、東大以外の六大学関係者の中にも「時代が変わったのだから考え方も変えないと。このままじゃ終わらないんじゃないか」と、決定の見直しを求める声が出始めている。
【清水隆明】(毎日新聞1999年12月9日東京朝刊から)
◇ ◇ ◇
加治佐投手への応援メッセージは
応援ボードへ
東大野球部メール宛先は tokyo-bbc@ma.neweb.ne.jp
東大野球部HPスタッフ
99/12/8(水)
東大野球部ホームページとしては今後、掲件に関して状況・経過をお伝えしてまいります。
応援ボードにてみなさまがお察しされる通り、掲件に関し、支援くださっている六大学関係者の方々もおられます。このこともお伝えしてまいります。
東大野球部HPスタッフ
99/12/7(火)
スポーツ報知・高柳さんのインタビューを受ける加治佐平投手 (写真をクリックするとナイスガイぶりが分かりますよ!)
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掲件に関しまして、これまで本人の氏名、プロフィールなど公表を控えておりましたが、本人の起っての希望もあり、公表してまいります。
彼は、加治佐 平(かじさ
たいら)投手、鹿児島ラ・サール高校出身です。(写真左)写真は12/4(土)にスポーツ報知の記者・高柳義人さんにインタビューを受けているときのものです。
今回の公表は三角監督の了承を得ていますし、遠藤投手の意見でもあります。また、加治佐投手は京大戦、オープン戦、七大戦、国公立戦などには登板できることになりました。選手紹介のページでも紹介させていただきます。
氏名、プロフィールを公表することによる心配、懸念は確かにありますが、加治佐投手の東大野球部での元気な姿をご覧いただけることが応援、支援してくださる方々、そして加治佐投手本人、ご家族の心の支えになることを信じ、今回公表させていただく次第です。六大学関係者の方々、マスコミ関係者の方々のご理解、ご支援、何卒よろしくお願い申し上げます。
加治佐投手も、みなさまの暖かいご支援にも勇気づけられ、ナインとともに毎日練習、トレーニングに励んでおります。今後ともよろしくお願い申し上げます。
加治佐投手への応援メッセージは
応援ボードへ
東大野球部メール宛先は tokyo-bbc@ma.neweb.ne.jp
東大野球部HPスタッフ
99/12/6(月)
掲件につきまして、みなさまのさまざまなご意見、ご提案お寄せいただき誠にありがとうごいざます。また、語調、口調などお心づかい、誠にありがとうございます。
みなさまのメッセージは
応援ボードへ
東大野球部メール宛先は tokyo-bbc@ma.neweb.ne.jp
東大野球部HPスタッフ
99/12/3(金)
12/1発売(12/13号)の週刊ベースボールに以下の投稿記事がありました。東大野球部としては本人が正式選手登録される日を待つため、公表を控えておりました。
◇なぜ、選手登録ができないのか
東京都・ただ一つ・20【ボール パーク共和国”READERS DIRECT”より 】
東大のエース遠藤投手、プロ入りおめでとうございます。気迫のピッチングをプロのマウンドでも見せてください。実は私の友人も今年念願の東大に合格し、遠藤投手と同様、神宮球場でのプレーを目指して野球部に入部しました。
ところが、ここでトラブルが発生しました。彼は昨年、早稲田大学に入学し一度野球部に入って六大学に選手登録されていたため、東大の選手として登録する
ことができないと言われてしまったそうです。彼はもともと東大志望でしたが、受験に失敗し、早稲田に入りました。一浪していたため早稲田で野球をしようと思い、入部したのですが、やはり東大野球部へ
のあこがれが強く、早稲田を退学した後もう一度東大を目指し、晴れて合格した苦労人です。
それが、昨年わずか3ヶ月程度、早稲田の野球部に所属していたという理由で、選手登録を拒否されてしまいました。
高校時代はエースとして、鹿児島県大会で4回戦まで勝ち進んだ実力の持ち主です。遠藤投手の抜ける来年は、東大のエースになってくれると期待しているのですが、選手登録されなければ試合に出ることもできません。
成長すれば将来プロに行くこともできるかもしれないのに、ここで選手生命を絶たれることになると思うと、心が痛みます。六大学の規則として他大学で登録されていた選手の登録を本当に禁止しているのかどうかも疑わしいところですが、厳しい入学試験を突破してきた彼には、東大の選手として野球をする権利があるはずだと思います。
野球ファンの皆さん、どう思われますか?そんなつまらない理由でプレーする権利
を奪うなんて許せません。日本の野球界にとっても大きな損失だと思います。私はこれからも彼を応援していきたいと思います。神宮球場で活躍することを祈って。
◇ ◇ ◇
本人は”その日”を信じて必死で練習に励んでまいりました。
以下は11/30(火)の毎日新聞の記事です。
◇登録規約タテに六大学連盟ノー 20歳の悲劇
東大野球部に入部しようとした学生(20)が以前、早大野球部に在籍していたため東京六大学野球連盟の規約に触れるとして、入部が認められないままになっている。この規約は大学間の選手の「引き抜き」を禁止する条項とされるが、戦前には見られた「引き抜き」も戦後はほとんど例がない。入学後から現在まで東大野球部で練習を続けている学生は「引き抜きでないのは明らか。神宮で野球をやりたい」と訴えている。
この学生は昨年、早大に入学後、野球部に入り、同連盟に選手登録された。しかし、「東大で野球に打ち込みたい」と同年7月に退学。今年3月、東大に合格して野球部に入部しようとした。
ところが、同連盟に登録申請したところ、連盟側は「加盟校に一度登録された者は他の加盟校に登録できないという規約がある」と主張した。しかし、規約では「各加盟大
学の他の野球部の選手として登録されている者」は公式試合に出場できないと記しているが、東大側は「二重登録を禁止する条項であり、過去の経歴にまでは言及していない
」として「登録を認めてほしい」と訴えている。
東大側は9月の理事会でも正式に承認を求めたが、10月末に早大、東大を除いた理事間の話し合いで登録不許可の方針が固まったという。東大野球部の三角裕監督は「な
るべく本人の希望をかなえてやりたい」と話し、承認問題が話し合われるとみられる12月2日の同連盟理事会を注目している。
【清水隆明】(毎日新聞1999年11月30日東京朝刊から)
◇ ◇ ◇
そして以下は12/3(金)の毎日新聞の記事です。
◇元早大部員の東大入部希望、理事会が正式に不許可
元早大野球部員で、退学後の今春に合格した東大の野球部に入部を希望した学生(2
0)が、東京六大学野球連盟加盟校間の「選手の引き抜き」を禁止した規約を理由に同
連盟から半年間も入部を認められないままになっている問題で、同連盟は2日、この学生の入部を正式に不許可にした。
この日は同連盟の理事会が開かれ、連盟側が規約の「各加盟大学の他の野球部の選手として登録されている者」は公式試合に出場できないという条項を根拠に「10月末の
理事間の話し合いで決定した通り、一度他大学に在籍した者も認めない」と報告した。
東大側は「その条項は過去の経歴を問題にしていない」と再考を強く要望したが、聞き入れられなかった。戦前には見られた選手の「引き抜き」も、戦後はめったに見られない。同連盟の長船
騏郎・事務局長は「規約の解釈の違いで、その条文に慣習も含まれていると思ってもらっていい」と、古い慣習が優先したことを認めた。
三角裕・東大野球部監督は「あいまいな規約だけに、今回だけでも認めてほしかった。
学生は半年も一緒に練習したのに、目標がなくなり気の毒だ」と肩を落としていた。
【清水隆明】(毎日新聞1999年12月3日東京朝刊から)
◇ ◇ ◇
以下は毎日新聞評です。
◇「波」東京六大学野球
「引き抜き防止」は、時代錯誤の慣習
今回の問題点は、時代に合わない戦前の慣習を舌足らずな規約と強引に結び付けてし
まったことだ。規約は「過去の経歴まで踏み込んでいない」という東大側の言い分の方
に説得力がある。東京六大学野球連盟側が対応に苦慮したことは、決定に半年もかかった事実が示す通り。にもかかわらず、連盟は「慣習」を優先させた。「選手の引き抜き」を防止したいOBの意向が働いたとみられる。
学生が大学を受験し直すことは珍しくないし、そこでも野球を続けたいという気持ち
は否定できない、と考えるのが妥当だろう。今回のケースが秩序を乱す「引き抜き」に
該当しないのは明らか。似通ったすべてのケースに、禁止の網をかぶせてしまう姿勢には疑問が残った。
スポーツの多様化で、大学野球はかつての人気を失って久しい。このまま世間の常識とずれた硬直した運営が続けば、ファン離れはますます進む。野球に情熱を抱く若者を
失望させない、柔軟な結論は出せなかったのか。
【清水隆明】(毎日新聞1999年12月3日東京朝刊から)
◇ ◇ ◇
まず、東大HPスタッフとして連盟の決定を厳粛に受け止めたいと思います。
東大野球部に入るには、厳しい受験をパスして、東大に入らねばなりません。過去においても似たケースはありました。慶大や早大、他国立大にいったん入学しながらも、東大野球部をあきらめきれず、1浪、2浪後晴れて東大に受かり、神宮で大活躍した選手は大勢います。
今回は同じリーグの早大野球部に所属した、ことが問いただされています。
しかし、このような六大学連盟の規約ルールが全国の高校球児、アマチュア野球関係者にどの程度伝わっているかは疑問ですし、早大野球部を退部するときに「他の五大学ではできない」
ことは彼には知らされていませんでした。在籍3ヶ月だったので、神宮のベンチには入ることはありませんでした。
留年さえすれば(学費さえ払えば)、何年でも大学で野球ができてしまうので、確かに部員登録4年間というルールはあります。しかし、二重登録でも、引き抜きでもない彼は、3年間は東大のユニフォームを着て、神宮で野球をやれる資格があるのでは、と思うところです。
みなさまのメッセージは
応援ボードへ
東大野球部メール宛先は tokyo-bbc@ma.neweb.ne.jp
東大野球部HPスタッフ
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